コラム

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 ●パズルこぼれ話 ●パズル作家交遊録

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パズルこぼれ話

《パズル》

世界最古のパズル
 1858年、イギリス人の古物収集家A・ヘンリー・リンドは、エジプト滞在中に、テーベの古代の建物の廃墟でパピルスを発見する。これは、後にリンド・パピルスと呼ばれる。リンド・パピルスは紀元前1700年頃に書かれた、数学の実用的な指導書だった。この中に次のような問題が登場する。
「7軒の家にそれぞれ7匹の猫がいる。猫1匹はそれぞれ7匹の鼠を食べる。鼠1匹はそれぞれ7穂の小麦を食べる。1穂の小麦からはそれぞれ7ヘカトの穀物が取れる。では、7軒の家のすべての猫で、何へカト分の小麦が節約できることになるだろうか」
 数学パズルとしては、おそらくこれが世界最古であろうといわれている(答:16807)。

マザーグースのパズル
 イギリス古来の伝承童謡集「マザーグース」の中にも、上記と似た問題がある。
「セント・アイヴスへの道すがら、7人の妻を連れた男に出会った。どの女も袋を7つ持ち、どの袋にもネコが7匹。どのネコにも子ネコが7匹。子ネコとネコと袋と女、セント・アイヴスに向かうのは、合わせていくつか答えてごらん」
 今度は7の累乗だけでなく、和になるので7+49+343+2401=2800と答えると、この問題に引っかかったことになる。セント・アイヴスに向かうのは私一人で、男は私とすれ違ったに過ぎないという、トンチ問題であった。

スフィンクスの謎

 ギリシアの中にはいくつかの謎話がある。その中でも、怪物スフィンクスが出す謎は有名だ。
古都テーベの郊外に住むスフィンクスは、道行く人間を見かけては謎を出し、答えられないものを殺して食べたという。その謎は、「朝は4本足、昼は2本足、夕べには3本足で歩くものは何か」というものだった。人々はこの怪物を恐れ、テーベの町はすっかり寂れてしまった。
 しかし、やがて英雄オイディプスが現れ、「それは人間である」と見事に正解してみせたのである。人間は、赤ん坊のときは這い這いして4本足で歩き、成長して2本足で歩き、年を取ると杖を使って3本足で歩くというもの。正解を出されてしまったスフィンクスは、自ら谷に身を投げ、以後現れることはなかったそうだ。


ホメロスの謎
 ギリシアのホメロスの詩の中に、ホメロスが悩まされた謎の話が登場する。
ホメロスが、「深い海の獲物を捕る漁師たちよ、汝らは何か捕ったか」と漁師たちに尋ねると、「我々が捕ったものはみんな置いてきた。そして、捕らなかったものはみんな持ってきた」と答えた。ホメロスは、この謎が分からずに答を求めると、正解は「シラミ」だった。体についたシラミのうち、捕ったものは置いてきたが、捕らなかったものは家まで持ち帰ったという訳だった。
 ホメロスは、出身地や生存年代など、不明な点も多いが、紀元前700年以前の詩人であることは間違いなく、文献として残っている謎としては最古のものといっていいだろう。

「ギリシア十字」のパズル

 紀元前の古代ギリシアには、「ギリシア十字」と呼ばれる幾何学の問題があった。正方形5つでできている十字の図形に少ない切り取り線を入れて切り離し、1つの正方形に組替えようというもの。答は、問題図の上にマウスポインタを置くと表れるヨ。 

「ギリシア十字」のパズル




メモ帳

渡し舟の問題
 紀元前からあったといわれる古典パズルで、よく知られているのは、8世紀のA・アルカンの著書に登場する「渡し舟の問題」。
「ある男が、オオカミとヒツジを連れ、キャベツを持って、川に差しかかった。川を渡るには、小さな舟を使うのだが、この男以外に1つしか積むことができない。男がいないと、オオカミはヒツジを食べてしまい、ヒツジはキャベツを食べてしまう。どうやったら川を渡れるだろう」(答はこちら
  16世紀には、タルターリアの著書に、この問題のヴァリエーションとして、3組の夫婦の問題、3人の宣教師と3人の人食い人種の問題が登場する。3組の夫婦の問題は、川には2人乗り用のボートが1つしかなく、各夫婦はみんな大変な焼きもち焼きで、自分のいないところで、自分の相手が他の異性と一緒にならないようにするというもの。3人の宣教師と3人の人食い人種の問題は、川には2人乗り用のボートが1つしかなく、いかなる時も宣教師の数が人食い人種の数より少ないと食べられてしまうという問題だった。


贋金の問題
 1945年、アメリカの数学雑誌「アメリカン・マセマティカル・マンスリー」の1月号に、バージニア州のE・D・シェルという人が考案した、贋金の問題が掲載された。
「同じ種類のコイン8枚と天秤が1台ある。コインのうち1枚は贋金で、本物より軽い。天秤を2回使っただけで、贋金を見つけられるか」
 この問題は、多くの数学者やパズル愛好家たちを夢中にさせ、ドイツの潜水艦を沈めるための頭脳が失われた(!?)といわれたほどである。一方で、実は第二次世界大戦中のドイツで考案されたという説もある。こちらは紙に印刷した問題を空からまいて、連合軍側の戦意を低下させるのが目的だったとか…。
 さて、解法だが、ランダムに選んだコイン3枚を天秤皿の一方に、もう3枚をもう一方の皿に乗せる。この時、もし釣り合えば、乗せなかった2枚のどちらかが贋金となり、天秤の両皿に1枚ずつ乗せれば、軽い方が贋金ということになる。もし、釣り合わなければ、軽い方の皿の3枚の中に贋金がある。その中の2枚を両皿に乗せ、釣り合えば乗せなかった1枚が、釣り合わなければ軽い方が贋金ということになる。


《クロスワードパズル》

世界最初のクロスワード
 1913年12月21日付の「ニューヨーク・ワールド」紙の日曜版に掲載されたものが、世界最初のクロスワードといわれている。編集者のアーサー・ウインは、クリスマス特集に際し、読者が楽しめる何か新しい企画はないかと考えていた。もともとイギリス人だった彼は、子どもの頃に遊んだワードゲームを応用することを思い立ち、ダイヤモンド形のマス目の中に、タテ、ヨコに違った言葉を入れてクロスさせようと試みた。そして出来上がった作品は『ワード・クロス』と名付けられた。初め、社内での評判はあまりいいものではなかったが、紙面で発表したところ、読者に大きな反響を呼んだ。連載が続くと、読者の投稿作品を載せたこともあり、人気は益々高くなって、同紙の名物コーナーになった。
 1924年には単行本が出版された。解くのに便利なようにと、鉛筆がおまけに付けられ、アッという間にベストセラーになり、約75万冊を売ったといわれている。その後、6年間に第60集まで刊行され、クロスワードの人気を不動のものにした。

イギリス最初のクロスワード

 イギリスで最初にクロスワードが登場したのは、アメリカで最初の単行本が発売されてまもなくの1924年8月のこと。ロンドンにあるH・A・マーカー社が、宣伝用に特大のクロスワードを作成、ショーウインドーに飾ったところ、店の前には、クロスワードを解こうという人たちが群がり、黒山の人だかりになったといわれている。

クロスワード・ウィドー(クロスワード未亡人)

 1925年頃のイギリスでは、クロスワードに夢中になる男性が増え、奥さんを蔑ろにするあまり、クロスワード・ウィドーなる言葉が生まれた。また、当時の男性は、よく電車やバスでクロスワードを楽しんでいたため、スリの被害に会うことが多かったようだ。
 同じ頃、アメリカでもシカゴに住む主婦から、こんな訴えが裁判所に出された。
「夫はクロスワードに熱中するようになって、ろくに仕事もせず、私を顧みようともしない。何とかしてほしい」
ときの裁判官が下した判決は、「1日3題以上やってはならない」というものだったそうだ。

クロスワードは命の恩人(!?)
 アメリカ禁酒法時代の話。ドラマーのデーヴ・タフは、アル・カポネ経営のキャバレーで演奏していた。この店のマネージャーのジェークは、大のクロスワード好きだが、体重300ポンドの巨漢の元ボクサー。総身に知恵が回らなかったのか、難しい問題になると、いつもデーヴに手助けしてもらっていた。
 ある晩のこと、デーヴがステージに上がろうとすると、邪魔をする男がいた。その男をどやしつけてからステージに上がったのだが、何とその男は、カポネ親分の弟分にあたるボトルス・カポネだったから大変。バンド仲間に教えられたデーヴは生きた心地もしない。そんなとき、カンカンになって怒っていたボトルス・カポネをなだめたのがジェーク。ジェークにしてみると、デーヴを殺されては、好きなクロスワードが解けなくなってしまうとでも思ったのだろうか。ともかく、デーヴはクロスワードに命を救われたわけだ。

クロスワードは悪徳(!?)
 1945年に出版された、アメリカの文芸評論家であるエドモンド・ウィルソンの探偵小説評論『だれがアクロイドを殺そうと知ったことか』の中にある一節。
「探偵小説の中毒者になるのは、クロスワード・パズルに熱中するのと喫煙の習慣との中間くらいの悪徳である」
探偵小説のことを指して言っているのだが、その時代、いかにクロスワードに熱中する人が多かったかを物語っている。

アメリカでのクロスワードのルール

 アメリカにおけるクロスワードの基本形である「15×15で、黒マスは左右対称に配置する」が出来上がったのは1924年のことだった。当時のアメリカでは、クロスワードは絶大な人気を誇っていた。様々な種類のクロスワードが出版されていたが、ご多分に漏れず、粗悪なものも多数出ていた。
 そうした中、アマチュア愛好家のグループが生まれ、彼らが粗製濫造を避ける意味もあって、今後は一定のルールに基づいて作ろうと呼びかけたのがきっかけだった。このルールは今なお続いている。
1.書き込まれる文字は、すべてどこかでつながっていること
2.黒マスの総数は、全体のマス数の6分の1(約17%)以下であること
3.デザインはシンメトリー(対称)であること

世界最大のクロスワード
 世界の様々な記録を集めた『ギネスブック』に載っている、世界最大のクロスワードは、1982年7月にカナダのロバート・ターコットが完成させたもの。その面積は3.55u。8万2951個のマス目に、ヨコのカギが1万2489個、タテのカギが1万3125個だそうだ。単純計算で正方形だとすると、一辺は約 288マスになるが、こんな大きなクロスワードを、いったい誰が解くのだろうか……。

クロスワードの最多作者
 英国シュロップシャー州アイアインリッジのロジャー・スカイヤーズさんは、1人で毎週38個のクロスワードを制作し続け、1996年5月までに、その数は4万8000個を越えた。1989年9月6日付の『デイリー・テレグラフ』紙に、彼が考えた100万個目のカギが掲載された。同じパズル作家とはいえ、ちょっと信じられない数である。

日本最初のクロスワード
 日本で初めてクロスワードが紹介されたのは、1924年(大正13年)のこと。ちょうど、アメリカで初の単行本が出版された年だった。翌1925年には、『サンデー毎日』に「新智識遊戯“嵌め字”」として、オリジナルのクロスワードが登場した。クロスワードという言葉の訳も、十字判断、十字語合わせ、十字語謎、十字嵌め字謎解きなどといろいろあり、苦労の様子がうかがえる。


《迷路》

最古の迷路
 ギリシアのピュロスで出土した粘土板に描かれた迷路が最古で、紀元前1200年頃と見られている。

最大の迷路
 1969年6月に米国ミズーリ州クレイトンのショー・パークに設けられた「K.I.D.S.」が最大。1万6281uの広さの中に木とプラスチックで造られた迷路の全長は、3.98qあった。3週間公開された後に片付けられた。

最大の恒久迷路
 オランダのルールロにブナの木を使って造られた迷路で、広さが8740uあり、1891年に造られた。
 同じく恒久的な迷路で、総延長が最も長いのは、英国ウィルトシャー州ウォーミンスター近くのロングリートにあり、1万6180本のイチイの木で作られ、全長2.72q。1978年に開園した。


《ジグソーパズル》

ジグソーパズルの誕生
 1760年頃、英国の地図の製図師であるジョン・スピルズベリーは、ヨーロッパの地図を、子どもたちに分かりやすく教えるために、はめ絵式の教材を考案した。
 この地図の教材を見たある人が、ゲームにしたらおもしろいとだろうと考えた。18世紀後半には、より細かく分割され、解体パズルというゲームして広まった。
 やがて、このゲームは19世紀になって、アメリカに渡り、糸のこで切られたことから、ジグソーの名がついたパズルとなった。

最高値のジグソーパズル
 ジョン・スピルズベリーの手によるヨーロッパの地図を表した、1767年製のジグソーパズルが、1984年7月のロンドンのサザビーズのオークションで、1650ポンドで落札された。買ったのは、米国人のアン・ウィリアムズさんだった。